菩提酛とは

日本最古の酒母と言われる菩提酛。その名前の起源は菩提山正暦寺でその技術が確立したからだと考えられています。菩提山正暦寺が寺院醸造の中心的役割を担い、酒母という概念を確立したことが、この地が日本清酒発祥の地と言われる所以です。菩提酛のプロセスの特徴やその誕生秘話を解き明かします。

 

日本最古の酒母と言われている「菩提酛」。室町時代、奈良の寺院醸造の中心的役割を担った菩提山正暦寺で創醸された酒母です。

 

「酒母の概念の始まり」

では酒母とは何か。について考えてみます。「お酒の母」と書きます。これは、お酒造りをする上で必要な酵母を育てる行程です。酵母は微生物の一つで、パンを作るときにも必要な微生物ですが、アルコールをつくるときにも必要になってくる微生物です。その酵母を育てるために蒸したお米と、麹と水を加えて、それらを混ぜたところに酵母を入れ、まず小さなお酒造りを小さな容器で行います。このようにして元気な酵母をたくさん生産するというのが現代の酒母造りです。出来上がった酒母にさらに蒸したお米、水、麹を加え、容量を増加させながら、お酒造りを進めます(3段仕込み)。酒母を先に小さく醸造し、原料を段階的に分けて加える手法は日本酒造りとって重要であり、特徴的なプロセスと言えます。酒母造りはかつて甕や壺のような小さな器でお酒を造る時代には必須の技術というわけではなかったはずですが、醸造容器が大きくなるにつれ、安全に醸造するために必ず行われるようになった技術と考えられます。甕や壺のような小さな容器で美味しいお酒の元(酒母)を造り、これを発酵のスターターとしたのが酒母の概念の始まりです。

 

「菩提泉が菩提酛に進化」

日本初の民間の醸造技術書と言われる『御酒之日記』(室町時代)に、正暦寺における菩提泉の醸造について詳しい記載がありますが、酒母を用いる工程はありません。しかし、この菩提泉の醸造法と酷似した菩提酛という酒母の醸造技術が、この書物の200年後(江戸時代)に当時の醸造先進地、伊丹の技術者によって書かれた『童蒙酒造記』に登場します。これはまさに正暦寺においてお酒造りが容器の進化とともに生産量拡大の道をたどり、200年の間に菩提泉が酒母として役割を変化させていった証とも言える記述です。正暦寺が奈良における僧坊酒の中心的な担い手となり、清酒醸造技術の発展にいかに大きく寄与したかがわかります。

 

「現代の酒母と菩提酛の違い」

菩提酛が現代の日本酒醸造に広く用いられる、酒母(速醸酛、山廃酛、生酛)と明確に違うのは、そやし水と言われる乳酸酸性水をあらかじめ造り、それを酒母の仕込みに用いる工程が存在する事です。これによって、速やかに酸性条件下で酒母を育成することを可能にしたのです。菩提酛ではこの特徴的な醸造法によって夏期におけるお酒造りを可能としました。

 

「正暦寺の菩提酛の醸造工程」

①蒸す前の生米を仕込み水に約2日間浸漬させる

②乳酸発酵が始まり仕込み水が乳酸酸性水(そやし水)となる

③浸けていた生米を取り出し、これを蒸す

④そやし水は仕込み容器(甕、木桶、タンク)へ投入する

⑤蒸しあがったお米と米麹を容器へ投入する

⑥およそ10日から2週間ほどかけて酒母を育てる